ミッドナイト・ファミリー
メキシコ・シティでは、人口900万人に対し、行政が運営する救急車は45台にも満たない。そのため、専門訓練もほとんどなく、認可も得ていない営利目的の救急隊という闇ビジネスが生まれている。オチョア家族もその一つだ。
同業者と競い合って、緊急患者を搬送する毎日。この熾烈なビジネスで日銭を稼ごうと奮闘するオチョア家だが、現実はそう甘くない。腐敗した警察による取り締まりが、さらに家族を窮地へと追いやっていく。
「ミッドナイト・ファミリー」は、倫理的に疑問視されるオチョア家の稼業を、人間味あふれる視点で捉えつつ、メキシコの医療事情、行政機能の停滞、自己責任の複雑さといった差し迫った課題を私たちに突きつける。
メイキング・オブ・『ミッドナイト・ファミリー』
ルーク・ローレンツェンは、若い監督であり、持ち前の人間味豊かな感性で映画製作と彼が撮影した人々について語ってくれた。多作でもあり、例えば、受賞歴のある『Santa Cruz del Islote(イスロテ島)』など根強い人気を誇るドキュメンタリー映画3作品があり、Netflixでも大ヒットした『Last Chance U(ラストチャンス)』の製作にも関わっている。最新作は、メキシコシティで民間救急車を走らせ生計を立てる家族に密着した、スピード感あふれる長編ドキュメンタリー映画『ミッドナイト・ファミリー』だ。4年をかけて製作された本作品は、目撃者として現場に立ち会い撮影に挑んだ秀逸なドキュメンタリーである。ある家族の桁外れな生活に深く入り込み、臨場感と高いドラマ性によって、彼らへの強い共感を呼ぶ作品となっている。MadeGood Filmsは、監督ルーク・ローレンツェンに直接インタビューを行い、この映画が生まれた背景から、低予算の制作で成功を収めた裏話まで聞くことができた。質問は多岐にわたる―ドキュメンタリー映画の製作にあたり、人間関係、倫理観、物語の構成、芸術性の追求と資金調達などのバランスをどのように取っているのか? カメラを向ける対象への誠実さとは? 彼らの不安定な生活を撮ることについて躊躇はあったのか? これらの質問には、根本的な人間的良識が大きく関係している。また、このインタビューはメキシコの首都で実際に起こっている尋常でないギリギリの救急医療事情を知る貴重な機会となった。
「2015年末頃、大学を卒業してすぐにメキシコシティへ行きました。」とルークは話し始めた。「大学でルームメイトだった友人がメキシコシティ出身で、彼が帰国するのについて行ったんです。成り行きというか、試しに撮影してみようと思っていた映画のアイデアはいくつかありましたが、まだ映画製作者としては駆け出しで確固とした計画はありませんでした。」
ルークがメキシコで住んだアパートの近くには総合病院があった。この市立病院は常に過密状態で、病気や怪我をしたチランゴ(メキシコシティ在住者の俗称)たちが毎日長い列をなしていた。感情的なレベルでその状況を「無視することは不可能」だったとルークは言う。果てしない悲惨な状況の中で、命を救うべく走りまわり働いていたのは70から80台そこらの民間救急車だった。多くが闇営業で限られた装備しか持たず、救命搬送と引き換えに患者が支払う代金に依存している彼らだが、民間救急車の存在はメキシコシティの人々にとって間違いなく命の綱だ。一方、わいろや規制により脅しをかける警察が普通に存在するような不正はびこる市場でもあるため、民間救急隊は「海賊」や「寄生虫」と言い表されることもある。この現象の発端は、1985年のメキシコ地震後に北米・中米から救急車が流入したことにあると言われている。今日において、この“闇”救急救命事業は世界でも最大規模の最も混沌とした医療システムの必要悪となっている。
メキシコに移住した時点で、ルークは民間救急車についてまだほとんど知らなかったのだが、ある時、アパートの外で洗車をしていた2人の少年に興味を持ち話しかけた。彼らはホアンとホセの兄弟、そして父親のフェル・オチョア。「本当に彼らからはたくさんのことを学びました。」とルークは言う。「私は、病院到着前の処置やメキシコの緊急医療システムのことを何も知りませんでした。そこに住んでいる人でさえ知らないような事情もありました。オチョア家族の夜間の仕事に同行することができ、その最初の夜に、まさに撮ったばかりの映像を見てみたんです。そこには、この仕事で生計を立てる家族と助けを求める患者との間にある緊迫感がくっきりと映し出されていました。金銭によって命に係わる決断が左右される複雑な事情には本当に心が痛むけれど、この問題について探求したいと思ったし、もっとオチョア家族のことを知りたいという興味がありました。彼らの仕事は私の常識を超えていたのです。」
2016年、ルークは数週間の撮影の間にも驚くべき状況に何度か遭遇している。オチョア家族は、ある日は赤ん坊の命を救い、またある日は精神的ショックを受けている患者の家族とわずかな金額をめぐって喧嘩をする事もあった。当然のことながらルークは、危うさをはらむ彼らの仕事に対して揺れ動く自分の感情とどのように折り合いをつけるかという課題に気づく。
「最初に救急車に乗った時は、アメリカ人的な善悪の基準で状況を見ていたように思います。アメリカだったらどう行政を動かすかとか。性急になって、オチョア家族を実際に苦境追い込んでいる強大な何らかの力が働いていることを見落としていました。つまり、無意識に持っていた倫理的先入観の要素をまず取り除くことが必要だったんです。」
ルークは3年をかけて数百時間の映像を撮った。翌年の映画祭に出した試作版はある程度の関心を集めたが、もう一つ何かが足りないという評価だった。ここが作品のターニングポイントとなる。「重要な決断でした。完成作としてこれを映画祭に出していくのか、それともこの映画を撮り続けるのか。」ルークは撮り続けることを決断し、プロデューサーと共に再び現場に戻った。「効果的な視点を検討する必要がありました。撮影を始めた頃は、すごく“他者”の視点で見ていて、撮っている世界と距離があったように思います。月日を過ごすにつれて、その距離は縮まり、徐々に信頼関係ができて理解も深まっていきました。」
再び撮影を始めてみると、ルークには心に閃めくものがあった。撮影期間は2週間で、作品の80%は撮り終えていた。「救急車に同乗して冗談を言い合ったり撮影したりしているうちに蓄積されたあらゆる知識が、彼らとお互いに本当の信頼関係ができたと感じたとき結晶化したようでした。撮影初期の頃、彼らはありのままの姿を見せてくれているのだと思っていましたが、実際、2度目は全く違いました。」
当たり前のように思えるかもしれないが、彼の体験は、物語を紡ぐ者にとって内省と共感がいかに重要であるかを示している。「撮影現場には私が学んできた撮影方法の全てを総動員して臨みますが、これまで映画を撮ってきて、ひとつとして同じ手法や思考法を使ったものはありません。人と出会えばそれぞれに違うことを感じ、違うアプローチが生まれます。『ミッドナイト・ファミリー』で、私は長い時間をかけて、これまでに経験したことのない多くの撮影方法と物語の構成について学んだのです。」
ルークは、撮影対象に接するとき、映像アーティストやストーリーテラーが経験する時間のかかる困難なプロセスについても明快に答えてくれた。誰もがぶつかる壁であり、そこで自分に起こる感情をよく咀嚼することが、強力なストーリーを生み出すためには不可欠なのだ。「映画のすべてのシーンが本当に心の底から突き動かされたものとなるよう、また撮影中もそうあるように心がけていました。また、編集においても救急車に乗っていたときの感覚を正確に織り込むように努めました。患者、救急車、病院、警察官、政府が絡み合う弱肉強食の連鎖の中で、身動きの取れないオチョア家族の姿を見つけ出すまでに長い時間がかかりました。こんな腐敗の連鎖のなかで、満足した生活を送れている人なんてほとんどいません。」 「そんな問題は克服できると簡単に言ってしまうような、ある種の個人主義的な考え方を本当に手放すには、たくさんの共感と忍耐が必要です。また、オチョア家族に正義を押し付ける考え方もここでは当てはまりません。問題はもっと複雑で、多くの点で非常に逼迫した状況にあります。私がこの映画で観客に考えて欲しいことは、自分が彼らの立場で、この状況に置かれたらどうするのか?ということです。彼らの仕事は、善悪の間に引かれた細い境界線上にあります。それを理解するまでに長い時間がかかりました。」
こうして完成した作品はご覧のとおり素晴らしい映画となり、サンダンス映画祭でルークとオチョア家族が共に成功を分かち合えたことは特に喜ばしいことだった。「やっとビザが取れたのは、彼らが飛行機に乗る予定の24時間前でした。この映画を信じて、とにかく来てくれたんです。映画祭以前に作品は見せていました。編集前のカットです。修正を求めることもなく、彼らは心から称賛してくれました。そこで、どこが良かったかという質問から話を始め、描きたいことの全てがしっかりとこの映画に込められているかという段階まで突き詰めて行きました。」
これだけ複雑な社会事情が秀逸なバランスで描かれた映画を見るのは感動的である。まさに現代における称賛すべき人間精神が発揮された作品と感じるが、そこにはカメラがあり、撮影する人がいる。そのカメラワークによって、映像は曖昧さ排除した説得力のある物語となる。ダニエル・ウォルバーが、カーステン・ジョンソンの『Cameraperson(カメラパーソン)』について「これこそノンフィクション映画のあるべき姿であり、思い切った配置、ときには感情的に辛いこともあり得る位置にカメラマンを配し、臨場感ある生きた対話を捉えている」と述べたように、救急車に同乗したルークの存在、つまり、オチョア家族の生活に実際に入り込むことが許されたという事実は、この映画を成功に導いた小さいながらも重要なポイントである。「彼らには伝えたい物語があると感じていました。」ルークは言う。「少なくとも、彼らが自分のことを語れるような状態を提供するように努めました。カメラの前にありのままに存在してくれるかどうかは、実に私たちが築き上げてきた関係性にかかっていました。」
「この物語の大部分で語られているのは善と悪の微妙な均衡で、そのほとんどが悪状況の中で善なる人々が抱える止むに止まれぬ事情にあると考えました。編集でもそこが本当に心血を注いだ部分なのですが、うまくいくかどうかも分からず、神経がすり減るような作業でした。少なくとも彼らを裏切らない作品になったと感じたときは、深い感謝の気持ちでいっぱいでした。多くの上映会を通じて、彼らのおかれている混沌とした状況を知ると共に、彼らが人間的に愛すべき人たちであることを観客に感じてもらえたと思います。」