
ストリッパー図鑑
原芳市 | 1982年
原芳市は1975年以来、ストリッパーの肖像を撮り続けてきた。その数は1,500枚以上にのぼる。写真集『ストリッパー図鑑』は、原のライフワークの原点を飾る一冊である。1981年には東京のギャラリー、銀座ニコンサロンで初の写真展「ストリッパー」を開催。東京中の300軒ものストリップ劇場を訪れ撮影したストリッパー200人の写真が展示された。その翌年、原はそのうちの65枚を厳選し『ストリッパー図鑑』を出版した。この写真集には、アメリカの写真家E. J. バロックの死後に出版された『ストーリービル・ポートレート(Storyville Portraits)』(Little Brown & Co.; 1970, 編成:リー・フリードランダー)の影響が見られる。
『ストリッパー図鑑』のポートレートはどれも劇場の楽屋で撮られた写真だ。楽屋は華やかな舞台と踊り子たちの日常の狭間にあり、一人の女性がストリッパーへと変容する場だ。そこで、彼女たちは随分リラックスした姿をカメラにさらけ出し、写真家の侵入など感じさせない無邪気な姿を無防備に見せている。舞台に立つ前のひととき、外の世界から守られた楽屋で彼女たちは本当の顔を覗かせる。
『ストリッパー図鑑』には、すやすやと眠りこける女、気だるそうに煙草を吸う女、気の張った顔に厚化粧を重ねる女、得意のポーズで陽気な笑顔を浮かべる女が並ぶ。私たちはそれを見ながら、身体の様々なバリエーション(ぺったんこな乳房、でっぷりとした腹やスラリと長い手足、特徴的な刺青…)を楽しみ、楽屋に置かれた色々な事物(スパンコールの衣装や下着、貼り紙や雑に敷かれた布団)に目を凝らし、踊り子たちがまとう疲れや気概、悲哀や媚態といった様々な感情を読み取り、心奪われてしまう。原はなぜ、こんなにも無防備でくつろいだ表情を獲得できたのだろうか、と不思議に思わずにいられない。また、なぜスポットライト華やかな舞台ではなく楽屋の彼女たちを見せたかったのか。
それは原が18歳、旅先の温泉街で訪れた古びたストリップ小屋での出来事だった。舞台に立つのは、だらしなく肉のたるんだ年増のストリッパーだったという。舞台の袖には、彼女の子供と思しき幼子が所在なげにうろうろとしていた。それを見て原は欲情など忘れ、年増の踊り子に自身の母親を投影し、また舞台袖の子供に自分自身をなぞらえ、「自分の母親にこんな真似ができるだろうか」と戸惑ったという。
そのとき原は舞台の裏にストリッパー各々の生活があることを目の当たりにし、女性が身体ひとつで逞しく生きている現実と、それをやり遂げるしたたかさに向き合う経験をしたといえるのではないだろうか。
2013年、東京のギャラリー汐花において、このシリーズのヴィンテージプリントを見せる小さな個展が開かれた。その際、彼は当時を振り返り次のように述べている。「ぼくが出合った踊り子たちは、ぼくより年上の人が多く、今会えばずいぶん年をとってしまっているのだろうと思いますが、その面影は、きっと変わらないのだろうと思います。そういうぼくだって、もう65歳です。ここに、その頃に撮影し、その頃にプリントした写真を、そのまま展覧します。ぼくが愛してやまない踊り子たちの誇り高き肖像にちがいないと思っているのです。」
原の言葉にはいつもストリッパーへの敬意が溢れている。ストリッパーである以前に一人の女性として有り、自身の身体が欲望の対象であることを自覚し、同時に過酷な人生を生き抜くためにそれを活用する逞しさへの賛歌だ。
原は、舞台の向こう側にあるそれぞれの人生への深い共感があったからこそ、踊り子たちが当たり前の女性としての表情を覗かす「楽屋」にこだわった。また、「図鑑」と称するやり方で並列に配置し無名の存在に帰することで、特異な職業につく彼女たちの多様な生き様を女性という存在の普遍性へと昇華している。
– 小田奈津子