ガイア・ガールズ
1999年。女子プロレス界を賑わせたGAEA JAPANの合宿所に密着する。明日のスターを夢見る3人の新人。彼らを「自分の子供」と呼ぶ大御所レスラー長与千種が、愛の鞭を振るう。
プロレスと聞くと筋肉隆々のヒーローやマンガのキャラクターようなマッチョな世界が思い浮かぶが、『ガイア・ガールズ』が映し出すのはこれまで見たことのないようなプロレスラーたちの様々な表情だ。この映画はキム・ロンジノット、ジャノ・ウィリアムズ監督のドキュメンタリーで、2000年にTIFFで初公開された。女子プロレス団体“GAEA Japan”で所属プロレスラーになることを目指し、練習生として奮闘する10代の少女たちを中心に、彼女たちの日々とトレーニングの様子を追った作品だ。物語の中心となるのはシャイでまだあどけない若い練習生、竹内彩夏。プロテストに合格してデビューするため、毎日トレーニングを積んでいる。そして、30代半ばにして伝説のレスラーであり、団体の創立者・トレーナーである長与千種。この2人を軸に、女子プロレス界でデビューし生き抜いていくプロレスラーの姿と心情に迫る。
この映画の背景には、かつて長与千種が女子プロレス界にアイドルとして君臨し、日本のティーンカルチャーにカリスマ的存在として多大な影響をあたえた時代がある。『ガイア・ガールズ』を見れば、その時代を全く知らない視聴者でも当時の熱狂が分かるだろう。長与自身が試合に臨む姿も盛り込まれ、練習生たちのヘッドトレーナーであり親のような存在というだけでなく、経験豊富なレスラーとしての説得力が感じられる。1980年代の後半、当時10代だった長与は、女子プロレス界伝説のタッグ“クラッシュ・ギャルズ”として日本のポップカルチャーに旋風を巻き起こした。その人気はアメリカのハルク・ホーガンにも及ぶほどだった。熱く激しく不屈の精神で闘うクラッシュ・ギャルズは、特に10代の少女たちの大きな支持を集めた。こうして、西洋のプロレス界ではまず類を見ない新しい概念が登場し、女子レスラーは血みどろの闘いを繰り広げる真の戦士として新しい女性像となった。
「プロレスラーはリング上で生き生きと光って見える。自分もそうなりたい。」と練習生の竹内彩夏は告白する。竹内にとって、プロレスラーになることは自分を発露するチャンスだった。彼女にとって、プロレスは思春期の内なる怒りや大人への反抗を表現する特別な手段であり、成長するための道でもある。そして自らがロールモデルとなり、トレーナーでありアイドルである長与千種のようになりたいという夢を掴む場所だ。揺れながらも嵐のように激しい思いが、リング上で輝き、呼吸し、成長し、常識を乗り越えていく。「普段は目立たない自分だけれど、リング上ではアピールしていきたい。」と竹内は言う。
壮大な夢へのサクセスストーリーかと思いきや、カメラが追うのはその裏側だ。田園風景の中にある団体の練習場で、竹内は他の練習生らと共に厳しい稽古に明け暮れる。この映画の面白さはまさにこの二面性にある。監督のロンジノットとウィリアムズは、派手な表舞台とその舞台裏、大騒ぎの興行と静かな田舎町(そして時折聞こえる体がぶつかり合う音)の対比を効果的にくっきりとバランスよく配置し、決して強引な方法をとらず映像そのものに語らせる手法を実現した。
このドキュメンタリーの山場は、竹内彩夏がプロテストを受けて正式にプロレスラーになれるかというところにある。プロテストの試合は経験値のある先輩レスラーと1対1で対決するのだが、その最初の試合で、ショッキングなシーンを目撃することになる。未熟な竹内に対する先輩レスラーの容赦ない攻撃以上に、戦意を失った竹内を長与が感情的、精神的に追い詰める場面は恐ろしい。すすり泣きながらもう一度チャンスを乞う竹内に、長与は平手打ちし「使えない、帰れ」と言い放つ。
生々しいシーンを見ていると女子プロレス養成所の凄まじい現実に打ちのめされるが、同時にその“厳しい愛情”の背後にあるプロ意識も見えて来る。長与は、「練習生たちは自分の子供のようなものだ」と告白する。少女たちが夢を実現できるようにできる限りの後押しをする責任を感じ、観客には力の限りを尽くして激しく盛り上がるショーを提供したいと思っている。長与が見せるヘッドコーチとしての残忍さはプロレスに対する大きな誇りの表れであり、練習生たち、そしてプロレスというひとつの芸術への愛のかたちだ。竹内の意志を受けて、長与は再度プロテストのチャンスを与えるが、その厳しさは信念に裏打ちされたものだった。
その時から若きレスラー竹内彩夏の表情が変わる。もはやシャイなあどけなさは消え、たくましい大人の顔になり傷も目立つようになった。2度目の試験では必ず自分の可能性を最大限に発揮し、全力を尽くしたいとこれまで以上に決意を固めたようだ。敬愛する長与から殴られ拒絶されて、竹内の心に嵐のような厳しい世界に1人で立ち向かう覚悟が生まれたのか、それとも、夢を打ち砕かれて破れかぶれになったのか。
プロテストの最後、長与が竹内の対戦相手としてリングに上がる。竹内はまったく歯が立たず、何度もマットに叩きつけられる。それでも、竹内は力を振り絞り何度も立ち上がる。彼女のデビューを描くサクセスストーリーでないにもかかわらず、カタルシスをもたらすハラハラする展開に引き込まれる。ファンの声援もなく、スポットライトも試合を盛り上げる演出もない。生々しい現実の姿だけがそこにある。ドキュメンタリーを見ていることさえ忘れるような、不屈の精神と意志の力で支えられた鉄の肉体から立ち現れる激しい感情をカメラは捉えている。このシーンから、映画製作者たちがプロレスの本質的な魅力を完全に理解し提示していることが分かる。シーンの構成と展開で、揺るぎない現実と物語性とを結び付け、映画としてのダイナミズムを生んでいる。そして、スリリングで興味深い師匠と弟子の物語を包み隠さず描ききった。
長与によって挫折を味わい、自分の限界を試されながら、竹内はついにテストに合格し観客の前でプロデビューを果たす。竹内のデビュー戦がエピローグとなっているが、試合後のインタビューで語られる言葉こそがこの映画の根幹を示している。「最も尊敬するレスラーは誰?」と尋ねられた竹内は、ギュッと硬い表情になり「長与千種」と答える。女子プロレス業界に常態化している絶対的な師弟関係とそこに生じるトラウマがあばかれるシーンだ。崇拝する師から受けた暴力的な指導は、また次のアイドルやロールモデルに継承され受け継がれていく。成功へのあらゆる動機が、指導者への恐怖に根ざしているという危険なシステムが存在している。
この映画の随所で、監督ロンジノットとウィリアムズが被写体に注ぐ切実で冷静なまなざしが感じられる。女性レスラーたちの燃えあがる野望とプロレスに賭ける闘志に焦点を置き、それぞれの思いや彼女たちを取り巻く文化背景への深い洞察をひとつの文脈にまとめあげた。知り得なかった現実を目の当たりにし、たとえ理解しがたいものだとしても、その事実に触れることがドキュメンタリー映画の面白さであるが、『ガイア・ガールズ』はそれを見事に体現した映画だと言える。アイドル誕生の裏にある女子プロレス界の内情、彼女たちの奮闘、その過程で刻まれていく深い“傷跡”について考えさせられる。