ヒットマン・ハート〜レスリング・ウィズ・シャドウズ〜
1997年。プロレス界を震撼させた「モントリオール事件」。その真偽は25年経った今も明らかになっていない。 マット界の権力抗争に巻き込まれながらも、正義を求めて闘い続けた伝説の男、“ヒットマン”ハートが心の内を語る。
1997年、ワールド・レスリング・フェデレーション(WWF)はテッド・ターナー率いるワールド・チャンピオンシップ・レスリング(WCW)との熾烈な人気競争を繰り広げていた。そんな時、WWFに所属していた伝説のプロレスラー、ブレット“ヒットマン”ハートにWCWから高額な契約金で移籍のオファーが舞い込む。WWFの興業主ビンス・マクマホンはハートの忠誠心に訴えかけて、今後20年の契約で移籍を押しとどめる。しかし、マクマホンは突如として契約を撤回。ハートは移籍を決意し、WWFでの最後の試合に臨む。それは、プロレス史上最も悪名高い試合となった「モントリオールの悲劇」へ続く道だった。
史上最高のプロレスドキュメンタリーとして広く称賛されている『ヒットマン・ハート〜レスリング・ウィズ・シャドウズ〜』は、ブレット・ハートの人生と彼の築いたハート王国の栄枯盛衰を鮮やかに描いた作品だ。ポール・ジェイ監督はプロレス界の裏側を包み隠さず克明に撮影し、他に類を見ない非常にドラマチックなリングにかけるプロレスラーの物語を提示している。
ブレット・ハートとハート一族のプロレス王国伝記として始まったこのドキュメンタリー映画は、次第に聖書の「ダビデとゴリアテ」のような裏切りと屈辱の物語へと変化し、観客は思いがけずプロレスビジネスの裏側にある闇を垣間見ることになる。まさにタイトルの通り『ヒットマン・ハート~レスリング・ウィズ・シャドウズ〜』だ。本作は、プロレスの舞台裏に真に迫った最初のドキュメンタリー映画である。脚本/監督はポール・ジェイ、カナダ製作の作品だ。興行主ビンス・マクマホンのプロレス帝国へここまで入り込んだ撮影が許可され、業界の力関係が大きく変化した瞬間に立ち会った作品は前例がない。他の作品とは一線を画す映画と言える。
ブレット・ハートとその妻との家族関係は、撮影中からピリピリと張り詰めた空気があり、その後二人が離婚に至ることは想像に難くない。ただ、被写体としてのブレット・ハートは比類なきカリスマ性を持ち、半端ない安心感を与えてくれる人物だった。ビンス・マクマホンがテッド・ターナーとの視聴率争いで低俗な演出に偏向したことに対しても、ブレットは正直に真っ向から批判し、壊滅的な裏切りを受けた後もほとんど無傷で敢然と再起している。
最初に驚くのは、ブレットの父がプロレス志願者たちを地下のトレーニングルームに誘い、サブミッションホールドの技で締め上げるシーンだ。プロレス王国の長である父スチュ・ハートを筆頭に、オーウェン・ハート、ジム・ナイドハート、ブリティッシュ・ブルドッグらを含む一族を強烈に印象づける。プロレスという芸術への突き詰めた情熱と深い献身によって繋がった家族である一方、スチュ・ハートは高齢やよぼよぼとした外見にもかかわらず子供たちから恐れられる実に激しいレスラーだったことが見て取れる。
この映画はまず映画祭で上映され、その後A&E、ドキュメンタリーチャンネル、BBC Twoなどで放映されたが、「モントリオールの悲劇」により生じた火種に油を注ぐことになるのを懸念したビンス・マクマホンによって、当初は法的に上映が難しい状況にあった。マクマホンがこの映画の上映を阻止したため国内外でいくつかの配給契約が打ち切られたものの、『ヒットマン・ハート~レスリング・ウィズ・シャドウズ〜』はカナダ史上最高のドキュメンタリー映画のひとつとして急速に評価を上げた。
1999年、『ヒットマン・ハート~レスリング・ウィズ・シャドウズ〜』は最優秀カナダ長編ドキュメンタリー賞を受賞した。天才とも言える怪物的な興行主に導かれた非道徳きわまる業界の中で、正義の羅針盤を頼りに生き抜く人物を描いたヒーロー物語であると同時に、プロレスビジネスの裏側と苦境に追い詰められたレスラーの姿に光を当てた点が評価された。その結果「邪悪なマクマホン」のキャラが生まれ、WWEの興行主としてリングに上がる突飛な演出ができたのもこの映画のおかげと言える。
『ヒットマン・ハート~レスリング・ウィズ・シャドウズ〜』は、今年再公開された見るべきドキュメンタリー映画のひとつだ。プロレスファンだけでなくドキュメンタリー映画ファンを魅了する作品であり、カナダのVice Studioによるプロレスのドキュメンタリーシリーズ『ダークサイド・オブ・ザ・リング』へ展開する大きな礎となっている。このシリーズ1ではポール・ジェイ監督の作品にも触れている。
この映画がブレット・ハート側の物語に寄りすぎだと批判する者もいるが、それ以上に、当時のプロレス業界を大きく揺るがせた事件の瞬間をリアルに捉えた功績は偉大だ。これほど徹底して観客の概念を覆し、舞台裏の事情を暴露したプロレスドキュメンタリー映画は他にない。