大衆演劇
ウィル・スチュアート | 2020年
大衆演劇場に足を踏み入れると、ワイルドで華々しい秘密結社に潜入したようにワクワクする。奇抜な衣裳を着た役者が舞台で踊れば、ファンたちも大喜びで一斉に立ち上がり踊り出す。どういうわけか、全員が振付けを知っているようだ。盛り上がったファンは、タイミングを見計らっては舞台に駆け寄って金封やプレゼントを渡したり、通路に飛び出してペンライトを振ったりする。まるで、アイドルのコンサートに来た若者たちのようだが、劇場に来ている女性たちの多くは10代の子どもを持つ親世代だ。その夜の大阪公演、座長を務めるのは心哉さんだ。「いろんな方々に観てもらえたら何よりの幸せです。せっかく大衆演劇を観に来たのだから、とことん楽しんでもらいたい」と言う。
心哉さんは5歳の頃から劇場に通っていた。15歳で学業を離れて劇団に入り、大衆演劇の道に進んだ。現在36歳で座長としては若手だ。彼の公演は、歌舞伎からディズニー、ヒップホップまで幅広い要素を取り入れている。「これまでにない西洋のダンスを使った公演をやりたいと思っています。面白いと思うことは何でもやってみる。どんなものでも、やりたいことをそのまま舞台にあげます」
大衆演劇は、通常、二部構成で上演される。第一部はメロドラマ仕立ての時代劇、第二部は舞踊と音楽のレビューだ。心哉さんによると、舞踊は比較的新しい試みだという。歌舞伎や能などの格式ある日本の伝統芸能とは異なり、大衆演劇は型にはまらないスタイルで時代の変化を取り込み、娯楽性と親しみやすさを重視している。各劇団は心から忠実で献身的なファンベースを抱えていて、ファンたちは自分の好きな役者を応援するためなら惜しみなく大金をつぎ込む。
タカさんとリエコさんは、心哉さんの追っかけを始めてもう3年近くになる。日々の生活はほとんど心哉さんの舞台が中心だ。当初、タカさんは大衆演劇に興味がなく、リエコさんは1人か友達と観に来ていたそうだ。「最終的に一緒に行こうと彼女に説得されたんです。来てみると大衆演劇のエネルギーに圧倒されました。それ以来、すっかり夢中です。」とタカさんは言う。心哉さんの劇団が公演に来ると、タカさんは上演スケジュールに合わせて勤務時間を調整する。「必ず1公演は行きますが、たいていは1日に2公演は観られるように調整します。心哉さんだけの忠実なファンですよ。他の人の座長公演には行きません」
大衆演劇の役者には、キャラクターを立てた個性的な役作りが求められ、メイク、衣装、振り付けまですべて自分でプロデュースする。これは伝統であるだけではなく、ファンと長期的な関係を築き、劇場へ何度も足を運んでもらうためでもある。舞台から観客へ直接話しかけたり、公演の後に握手会で盛り上がったり、驚くほどのサービス精神でファンを喜ばせる。西洋演劇のように観客と出演者の間の“第四の壁”はここには存在しない。
たとえ舞台の途中であっても、ファンたちはお気に入りの役者に次々とプレゼントを渡す。ファンにとってはその時こそが、好きな役者と間近に触れ合える貴重な瞬間だ。タカさんとリエコさんは舞台用の装飾刀を贈ったことがある。その時を思い出して「嬉しかった」とリエコさんは話す。「翌日の公演でその刀を使ってくれたんです。その後も何度か舞台で使われているのを見ました」ファンレターを渡したり、色とりどりの和装小物を着物に付けてあげたりするファンもいる。おひねりとしてお金を贈る場合の相場は、だいたい一度に数万円だという。ファンたちがお金を出し合って、役者たちにソフトドリンクの詰め合わせを贈ることもある。役者たちは幕間の舞台上で、それを飲みながらファンと交流する。こうして役者とファンの間には結束の固いコミュニティが築かれるが、時には座長が特定のファンをひいきしていると嫉妬が起こることもある。
劇団公演は一座全員で協力して企画するが、座長が主役を演じ宣伝ポスターのメインを飾る。エキセントリックなメイクと長い髪のかつらで着飾っている役者のほとんどが男性だ。男性が女性を演じる女形は大衆演劇の演技様式でもある。「きれいな女形を見るのは楽しいですね。性別に関わらず自由なところが好きです」とタカさんは話す。(女性の役者も出演しているが、男役をすることはめったにない)
華やかな表舞台の裏側は思った以上に過酷だ。劇団は年中旅公演で移動が続く。毎日2回の公演を回し、休みは月に1日だけ。劇場内に寝泊まりして、1か月ごとに次の劇場へ移っていく。役者たちはその日の昼公演を終えるとそのまま簡単に昼食を済ませ、すぐに夜公演の準備に取り掛かる。そして毎日違う新しい演目、舞踊、衣裳で舞台に立ち、繰り返し訪れる観客をも魅了するのだ。
実際のところ舞台を企画する時間をどのように捻出しているのかと尋ねても、役者たちから明確な答えは得られなかった。「日々の公演と並行して常に新しい要素を取り入れています。」と心哉さんは言う。「みんなで一緒に演目を上演しながら、多くのアイデアが自発的に生まれてくるんです。」劇団に加わることは意欲的な若い役者にとって夢の実現のようだが、多くの若手が数年以内に辞めてしまう。華々しく魅力的な舞台の裏側にある現実に太刀打ちするには、相当の覚悟がいるのだろう。
ある時、タカさんとリエコさんが劇場へ行くと、心哉さんが舞台裏で倒れ救急車で運ばれるところに遭遇した。「見ていてすごくつらかった。」とリエコさんは言う。「舞台にあんなに一生懸命で、きっとお疲れになったんだと思う。もう少し身体を労わって欲しい。」しかし、心哉さんにとってはやむにやまれぬ生業で、舞台の幕は次の日も上がる。劇団を続けるならば、そんな苦労は承知の上ということのようだ。劇団の役者の一人はこう話す「大変ですよ。ほとんどの若手が入団して数か月で逃げ出してしまう。けれど僕らは、自分たちこそがこの大衆芸能の担い手だと自負しています。」
心哉さんは子供の頃、母親に連れられて大衆演劇を観ていた。心哉さんの母親は、彼が初めて座長を務めた公演の少し前に亡くなっている。舞台裏で撮った母親の写真を手に「私が立ち上げた劇団の公演を観ずに逝ってしまいました。」と寂しい気持ちを語る。きっと、心哉さんの母親は彼の心にずっと生き続け、舞台への強いインスピレーションとなっているのだろう。
1か月の公演も終わりに近づき劇団が次の町へ向かう準備を始めると、ファンたちも日常の生活に戻っていく。中には次の旅先まで追っかけて行く熱烈なファンもいる。ある人にとって大衆演劇は現実逃避できる娯楽であり、またある人にとっては自らの存在理由でもあるのだ。