
画家と泥棒
2枚の絵画が何者かに盗まれた。画家は犯⼈を突き⽌めるも、犯人は「覚えていない」の⼀点張り。「あなたを描かせてー」画家の突然の提案から、思いも寄らない2⼈の関係が始まる。
『画家と泥棒』監督ベンジャミン・リーが語る
絵画泥棒にはいつも興味が掻き立てられる。犯罪と芸術という正反対の性質が混在すると感じるからだろう。大きな文化資本が動き社会的な価値の高騰がみられる芸術産業と、“下層階級”の犯罪者の荒んだ人生が交わるとき。その明暗のコントラストに興味と疑問が湧き上がる。絵画泥棒はどんな人間なのだろうか。なぜその絵画を選び盗んだのか。お金のためなのか、それとも芸術への純粋な愛ゆえか。
『画家と泥棒』の撮影プロジェクトはそんな疑問から始まった。私は、まずインターネットで絵画の盗難事件を検索した。今思えばおかしな話だが、その時は調べた情報で何を撮るつもりなのかすら考えていなかった。たくさんの事件記事を読み、すごく面白かった。けれど、何人かの泥棒と会ってみても特に撮影するほどの発見は無かった。ある時、2015年にオスロのギャラリー・ノーベルで起こった絵画の盗難事件を知った。あまり有名ではない画家のふたつの絵画が盗まれ、二人の窃盗犯が捕まって75日の実刑となった事件だ。裁判にはそのうち一人の泥棒が出廷していた。なぜ、彼らは絵画を盗むことにしたのだろう。決定的に強く興味を惹かれたのは、絵を盗まれた画家が泥棒の一人に「あなたをモデルに絵を描かせて欲しい」と言ったと知ったからだった。私は画家と連絡を取った。まだその時は、これから自分が撮ることになる物語が驚きの展開を見せるなんて思いも寄らなかった。
撮影を始めたのは、バルボラとカール・ベルティルが会うようになってから4回目くらいの頃だ。画家と泥棒の間にどんな関係が生まれるのか、この撮影がどのように展開していくのか全く分からない状況だった。私のプロジェクトはいつもこんな調子で、何の前情報も入れず興味の赴くままに撮るのだが――結果、この映画は単に絵画泥棒の話にとどまらず、非凡で深い人間関係を織りなす友情の物語となった。
3年以上をかけて実に満足のいく撮影ができたと思っている。私は以前、チェスの世界王者マグヌス・カールセンを追った映画を撮ったが、彼は感情をほとんど表に出さない人間だったので秘めた心の動きを視覚的に捉えることに苦労した。
だが、『画家と泥棒』に関しては、そんな心配はなかった。彼らはとても情熱的で、率直で、繊細で、様々な表情を包み隠さず見せてくれた。
私の頭には2つの疑問が浮かんでいた。その答えを見つけるため、撮影を始めた瞬間から画家と泥棒の複雑な友情を探求したいと考えた。私たち人間は他者の視線や評価をどのように受けとめるのか、また、人はなぜ他者と関わろうとするのだろうか。私にとって映画製作とは、人間の行動を観察しながら、知的な刺激と豊かな感情の表出を求めて問いかける行為だと思っている。この『画家と泥棒』で、エンドクレジットを見終わったあとにも観客の心にずっと残るような、興味深い論点を提示できていたら嬉しく思う。
また、この映画では新たな試みとしてシネマ・ヴェリテの手法を取り入れている。時間軸を飛び越えていくつかの視点から物事を見つめ、映画全体を通して彼らの友情を多角的に描いた。登場人物の心の動きをそれぞれの場面に余すことなく反映するため、映画手法の選択にはずいぶん悩んだ。
主要人物のカール・ベルティルが、この映画の意図を素晴らしい言葉で表してくれた。「この映画が、社会のはみ出し者に対する偏見に立ち向かい、烙印から解き放つ一助となることを願っています。たとえ問題を抱えていたとしても、人間は賢明な行動を選択できるし、他者への思いやりを持って生きていけるはずです。」
ベンジャミン・リー/監督・撮影監督
1989年生まれ。2012年アムステルダムドキュメンタリー国際映画祭で初公開された『Dreaming of the Golden Eagle(イヌワシを夢見て)』など、15作品の短編ドキュメンタリー映画を製作。初の長編ドキュメンタリー映画でチェスの世界王者に迫った『Magnus(マグヌス)』は、2016年にトライベッカ映画祭で公開され、その後、世界64カ国から買い付けを受けた。