画家と泥棒

ベンジャミン・リー、ノルウェー、2020年
英語、ノルウェー語
106分
日本語
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ベンジャミン・リー、ノルウェー、2020年

2枚の絵画が何者かに盗まれた。画家は犯⼈を突き⽌めるも、犯人は「覚えていない」の⼀点張り。「あなたを描かせてー」画家の突然の提案から、思いも寄らない2⼈の関係が始まる。

英語、ノルウェー語
106分
日本語

チェコの画家バルボラ・キシルコワはオスロに移住したばかりの頃、彼女の絵画を展示していたギャラリー・ノーベルからとんでもない知らせの電話を受けた。2人の男が白昼堂々とギャラリーに侵入し、彼女の絵画2点を持ち去ったという。バルボラは盗まれたことへの怒りよりも困惑と疑問を感じた。「なぜ私の絵を盗んだの?」 ガーディアン誌の取材にも「私は有名なアーティストでもなく、不法侵入し法を犯してまで盗むほどの価値はない。ピカソじゃないんだから。」と語っていた。謙虚な発言だが、ある意味現実でもある。盗まれた2作品は「クロエとエマ」と「白鳥の歌」。どちらも4×6フィートもの大きさの魅力的なリアリズム絵画だった。泥棒たちは絵をフレームから外して丸めて持ち出したのだが、慎重に200本以上の釘を抜き無傷で取り外していた。この作業は専門家でさえ少なくとも1時間はかかるだろう。

バルボラは大切な2枚の絵を取り戻したい気持ちと同じくらい、持ち去った泥棒たちが気になった。その後、防犯カメラの映像によって泥棒たちは逮捕されたが、絵画は行方不明のまま。そこで、バルボラは自ら行動を起こす。逮捕された泥棒の1人、カール・ベルティルという名のタトゥーだらけの男の裁判を傍聴することにしたのだ。「何よりもアーティストとして強い好奇心が湧いた。何かは分からないけれど、そうすべきだと感じた。」とバルボラは言う。盗まれたのが携帯電話や時計だったら違ったかもしれないが、彼が盗んだのは自分の描いた絵なのだ。「このままにしておくわけにはいかない」とバルボラは思った。

バルボラは、裁判所で証言台に近づきカール・ベルティルに尋ねた。「また会えるかしら?あなたをモデルに絵を描きたい。」

こうして始まった複雑な人間関係――同情、共感、心の弱さと葛藤、観察者と被観察者の間に潜在する動機――によって、この『画家と泥棒』は実験的な映画作品となった。ノルウェーのベンジャミン・リー監督による注目すべきドキュメンタリーだ。『画家と泥棒』は現実を映した映画というより、複雑に絡み合った構造を持つストーリー性のある映画と言える。年初に開催されるサンダンス映画祭でプレミア上映され、絶賛を博した。物語は、バルボラがベルティルを理解しようとするところから始まる。犯行当時、ベルティルはドラッグをやっていて、絵を盗んだ後は何も覚えていないと言う(共犯者については編集で大部分が物語の筋から除外されている)。だが、法廷で出会ってから初めてオスロのレストランで再会した時、ベルティルはバルボラに「絵が美しかったから盗んだ」と告白する。

ベルティルの言葉はバルボラの心を掴み、彼女を危うい芸術的体験の誘惑に駆り立てた。バルボラはベルティルをモデルに絵を描き始め、リー監督はそんな2人の親交を3年間にわたって撮影することになった。この風変わりな友人たちに出会う前、リーは美術品窃盗という優美さのある大一番の犯罪を題材にした映画の企画を考えていた。そこで、たまたまGoogle検索にかかったギャラリー・ノーベルの絵画盗難事件を知ったのだ。リーは試しに短編映画を撮ってみようと、バルボラに連絡を取った。監督自身も言うように「どこに行き着くかわからない物語」の撮影はこうして始まった。

撮影を続けるうちに、ベルティルとバルボラの関係はお互いが徐々に心を開き、人として向き合うなかで大きく変化していく。転機となったのは、バルボラが制作中のベルティルの肖像画を彼に見せた時だ。「撮影当初、つまりカール・ベルティルの人柄を知る前の彼の印象は、何年も刑務所に入ったことがあり全身にタトゥーのある見るからに危険人物だ。近寄ってはいけないタイプの人間だった」とリーは語る。

ベルティルの胸には「密告者は地獄に落ちろ」というタトゥーが刻まれている。幼少期に受けた虐待やその後ドラッグに溺れた経験から、心を堅い殻の中に閉じ込めていたのだろう。しかし、バルボラが描いた自分の肖像画を目にし、その心の殻は崩れ去った。ベルティルの顔に感情がゆっくりと溢れだし、突然泣き出したのだ。2人はお互いを心から抱きしめる。他者に認められたことへの切実な喜びが、まるで澄んだ冷たい水面に投じた一石の波紋のように広がってゆく印象的なシーンだ。

撮影を始めた頃について、バルボラは「完全にベルティルを描くという芸術的体験に夢中だったから、撮られていることなんて関係なかった。いいわよ、どうぞご自由にって感じ。」と言う。その後、通話アプリやFacebookでのやり取り、夕食を共にしたり、ポートレート写真家のベルティルの彼女も加わり、“画家と泥棒”の親交が深まってくると、この撮影プロジェクト自体が感情の探求であると考えるようになった、とバルボラは語る。「もう一つの視点が自分の人生を批判的に見つめているみたいだった。」

106分の映画の3分の1ほどが経過したところで、ベルティルがドラッグ絡みの事故で病院に運ばれる。バルボラは彼に寄り添い、親身になって回復を支える。2人の間の壁は完全に消えてなくなり、心の動きに焦点をあてて追い続けるうちに生まれた真の友情をカメラは捉えている。バルボラはキリストの聖痕のようなベルティルの手の傷を描く――それはまるで、ずっと誤解され悪人として生きてきた男にふさわしい傷のように見える。また、ベルティルの視点からもこの優しい画家バルボラとの関係性が描かれる。「彼女は俺のことをよく分かっているが、俺だって彼女を理解していることに気付いてないんだ」とベルティルは言う。

ベルティルの言葉や映画の中でも描かれているように、バルボラという画家は人間の心の闇に惹きつけられるタイプの人だ。彼女の絵画の多くは「死」をひるむことのない視線で想像力豊かに表現している。バルボラはDVにより苦しんだ過去から逃れ、オスロに移住し再び自分を取り戻したが、芸術的創造と経済的な現実問題との板挟みで悩む。アーティストとして本能的にベルティルとの奇妙な友情を追求するが、彼女のパートナー、オイスタインはその危うい関係に不安を感じていた。オイスタインは彼女が泥棒に寄せる関心を例えて「まるで子供を車道で遊ばせるようなものだ」と言う。(リーも同席したカップルカウンセリングで、オイスタインの発言に対してバルボラは「プラハにいた頃は車道以外に遊び場はなかった」と冗談半分に言い返している。)

映画後半で物語は大きな展開を迎える―バルボラはベルティルと離れて単独で行方不明の絵画の捜索に乗り出し、ベルティルは服役して自分の感情と向き合う姿が描かれる。そして彼らの進むレールは一旦逸れて、弧を描き再び寄り添う。この映画構成上の見事な手腕には感服する(前述したように、もう一方の共犯者についてはほとんど触れられていない)。この画家と泥棒の友情はそう簡単に消えることはなかった。きっかけはひどく特殊ではあったが、飾らない感情と心の深い部分でつながった友情であり、その根底には他者に理解されたいという普遍的な人間の欲求がある。この映画の撮影にあたりバルボラとリーは、答えを求めず好奇心に従って自然な流れに任せること、他人を評価することや偏見、大事な絵を盗まれたという怒りを一旦脇におこうと話し合ったという。

「この作品で探求したいのは、他者に認められることが人間に何をもたらすかいうことだ。他者を理解し寄り添うことの意味を問いかけている」とリー監督は語る。

『画家と泥棒』監督ベンジャミン・リーが語る

絵画泥棒にはいつも興味が掻き立てられる。犯罪と芸術という正反対の性質が混在すると感じるからだろう。大きな文化資本が動き社会的な価値の高騰がみられる芸術産業と、“下層階級”の犯罪者の荒んだ人生が交わるとき。その明暗のコントラストに興味と疑問が湧き上がる。絵画泥棒はどんな人間なのだろうか。なぜその絵画を選び盗んだのか。お金のためなのか、それとも芸術への純粋な愛ゆえか。

『画家と泥棒』の撮影プロジェクトはそんな疑問から始まった。私は、まずインターネットで絵画の盗難事件を検索した。今思えばおかしな話だが、その時は調べた情報で何を撮るつもりなのかすら考えていなかった。たくさんの事件記事を読み、すごく面白かった。けれど、何人かの泥棒と会ってみても特に撮影するほどの発見は無かった。ある時、2015年にオスロのギャラリー・ノーベルで起こった絵画の盗難事件を知った。あまり有名ではない画家のふたつの絵画が盗まれ、二人の窃盗犯が捕まって75日の実刑となった事件だ。裁判にはそのうち一人の泥棒が出廷していた。なぜ、彼らは絵画を盗むことにしたのだろう。決定的に強く興味を惹かれたのは、絵を盗まれた画家が泥棒の一人に「あなたをモデルに絵を描かせて欲しい」と言ったと知ったからだった。私は画家と連絡を取った。まだその時は、これから自分が撮ることになる物語が驚きの展開を見せるなんて思いも寄らなかった。


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撮影を始めたのは、バルボラとカール・ベルティルが会うようになってから4回目くらいの頃だ。画家と泥棒の間にどんな関係が生まれるのか、この撮影がどのように展開していくのか全く分からない状況だった。私のプロジェクトはいつもこんな調子で、何の前情報も入れず興味の赴くままに撮るのだが――結果、この映画は単に絵画泥棒の話にとどまらず、非凡で深い人間関係を織りなす友情の物語となった。

3年以上をかけて実に満足のいく撮影ができたと思っている。私は以前、チェスの世界王者マグヌス・カールセンを追った映画を撮ったが、彼は感情をほとんど表に出さない人間だったので秘めた心の動きを視覚的に捉えることに苦労した。

だが、『画家と泥棒』に関しては、そんな心配はなかった。彼らはとても情熱的で、率直で、繊細で、様々な表情を包み隠さず見せてくれた。


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私の頭には2つの疑問が浮かんでいた。その答えを見つけるため、撮影を始めた瞬間から画家と泥棒の複雑な友情を探求したいと考えた。私たち人間は他者の視線や評価をどのように受けとめるのか、また、人はなぜ他者と関わろうとするのだろうか。私にとって映画製作とは、人間の行動を観察しながら、知的な刺激と豊かな感情の表出を求めて問いかける行為だと思っている。この『画家と泥棒』で、エンドクレジットを見終わったあとにも観客の心にずっと残るような、興味深い論点を提示できていたら嬉しく思う。

また、この映画では新たな試みとしてシネマ・ヴェリテの手法を取り入れている。時間軸を飛び越えていくつかの視点から物事を見つめ、映画全体を通して彼らの友情を多角的に描いた。登場人物の心の動きをそれぞれの場面に余すことなく反映するため、映画手法の選択にはずいぶん悩んだ。

主要人物のカール・ベルティルが、この映画の意図を素晴らしい言葉で表してくれた。「この映画が、社会のはみ出し者に対する偏見に立ち向かい、烙印から解き放つ一助となることを願っています。たとえ問題を抱えていたとしても、人間は賢明な行動を選択できるし、他者への思いやりを持って生きていけるはずです。」

ベンジャミン・リー/監督・撮影監督

1989年生まれ。2012年アムステルダムドキュメンタリー国際映画祭で初公開された『Dreaming of the Golden Eagle(イヌワシを夢見て)』など、15作品の短編ドキュメンタリー映画を製作。初の長編ドキュメンタリー映画でチェスの世界王者に迫った『Magnus(マグヌス)』は、2016年にトライベッカ映画祭で公開され、その後、世界64カ国から買い付けを受けた。


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    アート界で国際的なセンセーションを巻き起こしたキース・ヘリングは、1980年代のニューヨークにおける伝説的なアートシーンの先駆者であり、ポップカルチャーとファインアートの世界に革命をもたらした。未公開のインタビューで構成されたこの興味深く真実に迫るドキュメンタリーは、まさにキース自身が語るアーティスト伝記映画の決定版だ。また、キース・へリング財団のみが保有する初公開の記録も含み、過去50年間で最も人々の目を惹きつけた彼の作品の背景にあるワイルドでクリエイティブなエネルギーも映し出している。

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    Blue Bag Life

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    『Art of Repair』アート・オブ・リペアー

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    ニューヨークを拠点に活動するジェイク・オルセン監督による衝撃的な短編ドキュメンタリー。南アフリカ・ケープタウンのケープ・フラッツで3日間にわたって撮影された『ケープ・フラッツ(The Flats)』は、そこで暮らす住民の生活を探る。

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    スプリンター・ファクトリー

    世界一のスプリント王国ジャマイカで、次の陸上競技チャンピオンを目指して全力で駆ける少女たちに迫る熱きドキュメンタリー。

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    ミスティコ

    イタリア生まれの映画監督カルロッタ・マナイゴは、その魅惑的なスペクタクルに惹かれ、あるルチャドール(ファイター)のマスクの下に潜り込むことにした。人を魅了してやまない男… “ミスティコ”である。

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    その理由

    フロリダの田舎に住む低所得者層が、喫煙によって大切な人を失いながらも、依存症に悩む姿を描いたドキュメンタリー短編映画。クリスティ、エリック、ジェレミーの3人は10代前半からタバコを吸い続け、大切な人を失っているにもかかわらず、収入の25%をタバコに費やし続けている。それぞれやめたい理由があるのだが、やめられない。

    短編ドキュメンタリー

    スノウ・サイエティ

    毛皮のコートやドンペリニヨンのボトルが象徴する雪山の高級リゾート、サンモリッツ。優雅な映像と並んで、大麻樹脂を炙り、ボードを折るほど激しく滑走するスノーボーダーの姿が目に飛び込んでくる。リュディ監督はこの作品について、「サンモリッツをラグジュアリーな面と反社会的な面の両方から捉えることで、二分法で分けられた世界を視覚的に読み解くドキュメンタリー映画だ」と語る。

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    NYC, 1981

    『NYC, 1981』は、ニューヨーク市の治安が史上最悪と言われた時代にフォーカスしたオリジナル短編ドキュメンタリーだ。

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    チェスの魔法(Magic of Chess)

    『チェスの魔法(Magic of Chess)』は、小さなチェス・チャンピオンたちがチェスによって広がる豊かな世界を語る短編ドキュメンタリー。毎年、ナッシュビルでは賞金を懸けたチェス大会が開催される。監督ジェニー・シュバイツァー・ベルは、2019年の小学生部門チェストーナメントを撮影した。映画の中でインタビューを受けるのは、8才のタニ・アデウミ。ナイジェリア難民で、家族とホームレスのシェルターで暮している。ニューヨークのチェス選手権でエリート私立校のライバルたちを打ち負かし、この大会に出場する。

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    カステイー人間の塔ー

    カステイは、カタルーニャの老若男女がお互いの背中や肩によじ登り、構築される人間の塔だ。この慣習は1801年に初めて文化活動として記録され、1980年台に競技へと発展した。2010年にはUNESCOの無形文化遺産に登録され、カステイはカタルーニャの“豊かな文化多様性”や重要性を持つとされた。

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    ラビット・ハント

    フロリダ州エバーグレーズの一部では、20世紀初頭から、若い男性(現在は若い女性)が棒と素早い反射神経だけで砂糖プランテーションの縁辺でウサギを狩る伝統がある。

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    『ガン・ネイション(Gun Nation)』ゼッド・ネルソン

    『ガン・ネイション (Gun Nation)』は、アメリカの自由を表す最大の象徴が、年間約3万人の市民の命を奪う銃であるというパラドックスに迫るドキュメンタリー。 ゼッド・ネルソンの衝撃的な写真集「ガン・ネイション」が発表されてから18年後。アメリカでは銃器によってこれまでに50万人もの市民が命を落とし、負傷者も後を絶たない。ネルソンは当時撮影した人々と再会し、再び彼らの写真を撮りながら、いまだに銃器所持に執着するアメリカの国民性を問う。

    短編ドキュメンタリー

    入浴 ―水との深い関係―

    『入浴 ―水との深い関係― (We the Bathers)』は、世界各地の14人の姿を捉えた美しく心に響く短編ドキュメンタリー。それぞれの人生が“水”をめぐる物語でつながっている。 フィービー・アーンシュタイン監督はこの映画で、入浴という個人的な慣習、そのプライベートな時間に結び付いた心の深淵を探求している。人種差別、うつ病、ホームレス、移民、売春などの社会問題に触れながら、人々が水との関わりによって内省と再生、癒しを得る様子を見つめる。 文化や地域を越えて、人間が水に自身を委ねる行為―入浴―に抱く感情に迫った作品。"

    短編ドキュメンタリー

    ファンガール

    ロサンゼルスを拠点とする映画監督兼フォトグラファーのライザ・マンデロップは、ソーシャルメディアが発達した現代の新しい“推し活”にはまる少女たちに着目した。マンデロップが捉えたのは、人とのつながりをますますテクノロジーに依存していく現代社会の実状だ。不安定な思春期を生きる少女たちは、日々、SNSでフォローしているアイドルに慰めと心のつながりを見出している。

    短編ドキュメンタリー

    ダンベ - エレファントフードは最強の歯のため

    ナイジェリアの伝統格闘技ダンベ、その内側に迫ったドキュメンタリー。ライバル同士の2人の格闘家が闘技場“ダンダリ”での対決に臨む姿を、臨場感あふれるカメラワークとカラング太鼓の音にのせてミュージシャンのユスフ・ムサが奏でる「語りの歌」で綴る。アフリカン・コミュニティの祝祭と闘争、信仰と神秘、美しさと勇猛さに惹きつけられる。

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    タングラス ― 地獄のペット ニワトリ―

    ある日、ムンバイで暮らす家族の小さなアパートに、父さんが一羽のヒヨコを買って来た。

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    「ロケット戦争」のルーツは数世紀に遡る。この地域の聖マルコ教会とパナギア・エリツィアーニ教会2大教区の住民が手作りのロケット花火を打ち上げる祭りだ。近年、ロケット花火の数は数千発にものぼり、復活祭の春の夜空を飛び交う光景はまさに壮観である。

    短編ドキュメンタリー

    『IVRY』(アイブリー)

    『IVRY』(アイブリー)は、青年アイブリー・ホールの人生に迫ったドキュメンタリー映画だ。彼はシカゴのサウスサイドでボクシングに励み、近所の子供たちの指導もする。映画の中で、アイブリーはボクシングジムに通う一人の少年イライジャに語りかける。ともすれば道を踏み外しそうになる荒んだ環境で、正しく生きるための知恵と人生の教訓を諭す。いくつものタトゥーを持ち、12歳の頃から何度も刑務所に入れられた。昔の仲間が生きる道を誤り、命を落とすのを何度も見て来た。これが、この地区(シカゴ近郊のイングルウッド)に暮らす若者たちの常だ。しかし、アイブリーは「そんな環境に打ち勝たなければならない。自分の内面を深く見つめること。自分で道を切り開くんだ」と饒舌に語る。

    写真集

    『Hessle Road』アレック・ギル

    写真家アレック・ギル(75歳)は、1971年にイギリスのキングストン・アポン・ハル市にあるセントアンドリュース漁港を撮り始めた。それ以来、この町のヘッスルロード地区にカメラを向け続けている。ギルは自らを称して“わが町を旅する人”そして斜陽の差す漁港の歴史を記録する“偶然の目撃者”だと言う。数十年に亘って、この地域とそこに住む人々を6,630枚にも及ぶ写真に捉えている。ギルはハル市の旧市街に生まれた。1960年代には海運業や運送業の仕事に就いたが事務仕事に向かず、よく旅へ出て写真を撮っていた。

    写真集

    ストリッパー図鑑

    原芳市は1975年以来、ストリッパーの肖像を撮り続けてきた。その数は1,500枚以上にのぼる。写真集『ストリッパー図鑑』は、原のライフワークの原点を飾る一冊である。

    写真集

    『Soho』バリー・ルイス

    1990年までのソーホーは、地域の高級化と家賃の値上がりによりエキゾチックな雰囲気が急速に失われつつあった。そこにゲイコミュニティが到来し、“ピンク・マネー”と言われる彼らの経済力によって以前の活気を取り戻し、幾分か時代の変化が緩やかになった。

    写真集

    『Facing New York』ブルース・ギルデン

    ブルース・ギルデンの路上劇場の登場人物には破天荒な面々が揃う。安っぽい派手さを身にまとい、世間離れしている。そして多くの者がミステリアスだ。ギルデンとニューヨーカーの関係は、互いに「ご近所さん」のようなもの。明白でシンプルな言葉、そして豊かな表現力で、独特の個性を放つ自称「ニューヨークのはぐれ者」たちの姿を、ギルデンはとらえてきた。彼の世界では、誰1人としてステージの片隅にいる者はいない。全員がスターなのだ。

    写真集

    アイリッシュ・トラベラー

    ミンキアは、アイルランドの伝統的な移動少数民族であり、アイルランド政府や定住民は彼らを“アイリッシュ・トラベラー”と呼ぶ。“ミンキア”とは、彼ら独自の言語であるキャント語(符牒)またはギャモン語で、「アイルランド移動民族のコミュニティー」を意味する。

    写真集

    『Street Cops』ジル・フリードマン

    混乱の時代を捉えた写真家の中でも最も重要なドキュメンタリーフォトグラファーの1人、ジル・フリードマン。彼女は人生をかけて複雑な社会状況を撮影し、誠実で芸術的な作品に昇華したストリート写真家だ。社会の片隅に暮らす人々に寄り添いながら、何か月も共に過ごして日常を記録した。

    写真集

    ダニエル・アーノルド

    ブルックリンを拠点とする写真家。街を毎日8〜12時間歩き回っては人々の写真を撮り、文句を言われる前に猛スピードで立ち去る。こうして、ニューヨーカーのプライバシーに風穴をあけるストリートフォトを撮り続けている。アーノルドは“変人のように一人で街をぶらついた”後、撮りためた沢山の写真の中からキラリと光る人間味あふれる瞬間を拾い上げる。彼の写真の躍動感は決してスタジオで再現できるものではない。ビル・カニンガムがユニークなファッションのスナップ写真を片っ端から撮り続けたように、アーノルドは日常のあちこちで絶え間なく営まれる人同士のふれあいがもたらす瞬間を、目にとまる限り残らずカメラに捉えようしている。

    写真集

    マーク・ネヴィル

    イギリス人アーティスト、マーク・ネヴィルは、アート、アクティビズム、ドキュメンタリーの交差点で活動し、写真の社会的機能を探求している。彼の写真プロジェクトは、被写体にとって直接的で実用的な利益をもたらすことを目的とし、地域社会と密接に関わりながら進行する。

    写真集

    『サブウェイ』ブルース・デビッドソン

    ブルース・デビッドソンの名作品集『サブウェイ』は、1980年代のニューヨーク・シティの様子を、極めて直感的に記録したものである。

    写真集

    『I Can Help』ポール・リース

    スーパーの店員がつけているバッジからとったタイトル「I Can Help」は、イギリス産業革命後の消費ブームをテーマにした、30枚の大型カラー写真シリーズだ。リースはスーパーマーケットのサブカルチャーを鋭く観察し、日常的なシチュエーションに純粋なストーリーを見出した。

    写真集

    ノグチ・シン

    ノグチ・シンは、1976年東京都新宿区生まれ。鎌倉と東京を拠点に活動し、数々の賞を受賞しているストリートフォトグラファーです。彼のストリート写真は、日常生活の流れの中にある興奮、ヒューマニズム、美しさの特別な瞬間を捉える試みであると説明する。控えめで、詩的で、謎めいたアプローチで、演出された写真やノーファインダー、ヒップショット写真に頼ることなく、日本文化の繊細さと複雑さを捉えることができる。

    写真集

    大衆演劇

    大衆演劇場に足を踏み入れると、ワイルドで華々しい秘密結社に潜入したようにワクワクする。奇抜な衣裳を着た役者が舞台で踊れば、ファンたちも大喜びで一斉に立ち上がり踊り出す。どういうわけか、全員が振付けを知っているようだ。盛り上がったファンは、タイミングを見計らっては舞台に駆け寄って金封やプレゼントを渡したり、通路に飛び出してペンライトを振ったりする。まるで、アイドルのコンサートに来た若者たちのようだが、劇場に来ている女性たちの多くは10代の子どもを持つ親世代だ。

    写真集

    甲斐扶佐義

    日本の写真家 甲斐扶佐義は、人生を賭した作品の多くを火事で失い、生きる気力を失くしていた時期があった。しかし、活気ある時代と彼の驚くべき経歴がにじみ出る一連の作品は今でも見ることができる。

    写真集

    『The Last Resort』マーティン・パー

    フォトグラファーのマーティン・パーがイギリスの海岸を撮影した秀逸な写真は、1983~85年にニューブライトンのリバプール・ビーチ・リゾートを訪れた時のものだ。パーの得意とする飽和色を配し、廃れた街の“一時代”を皮肉なユーモアをまじえて写し出す。ゴミだらけになったリゾート地ニューブライトンの舗装された遊歩道が、英国経済の衰退と社会状況の悪化を暗示している。

    写真集

    『Heart of Darkness - Kowloon's Walled City』グレッグ・ジラード

    1993年まで香港には魔窟と呼ばれる建造物があった。九龍の小さな区画にビルが密集してそびえ立ち、ジャングルの樹冠のように連なって大きな1つの要塞を形成していた。高さは14階にも延び、壁面は何百もの小さなアパートや店舗の蛍光灯で光り輝いていた。内部には学校や作業場、診療所、工場もあり、祈りと娯楽、享楽が詰まったこの場所に35,000人以上の住民が重なり合って暮らしていた。

    写真集

    『Bus Odyssey』トム・ウッド

    この写真集は、トム・ウッドがリバプールの街を走る路線バスから20年かけて撮影した写真で綴られている。