
NYC, 1981
『NYC, 1981』は、ニューヨーク市の治安が史上最悪と言われた時代にフォーカスしたオリジナル短編ドキュメンタリーだ。
当時を語るのは、ガーディアン・エンジェルスの創立者カーティス・スリワ、パフォーマンス・アーティストで、アンディ・ウォーホルの「ファクトリー」常連だったペニー・アーケード、女優のジョニー・メイ、ハーレムを代表する伝説的ストリート・ファッションデザイナーのダッパー・ダン、自動車修理工場オーナーのニック・ロッセロ、トラック運送組合代表のウェイン・ウォルシュらだ。
1981年は、ニューヨーク市最悪の年と言える。その年の1月1日から12月31日までの365日間、街のいたる所で暴行が起こり、強姦、強盗、あらゆる犯罪のニュースがひっきりなしに報道され、市民はこの街の行く末を案じて途方に暮れていた。(さらに、ゴミ清掃業者のストライキが暴動に発展し2週間以上続いたため、街路は目も当てられない様だった。)
2013年の殺人件数が648件だったのに比べて1981年は2,166件にものぼり、当時の状況の酷さを表している。前年にはジョン・レノン殺害事件もあり、街頭犯罪の発生率が世界的に注目を集めたことは、ニューヨーク市警本部長ロバート・マクガイアを大いに悩ませていた。
ブルックリンのウィリアムズバーグ地区は、現在でこそお洒落なレストランや高層マンションが立ち並ぶミレニアル世代の最先端流行発信地となっているが、当時の様子は全く異なる。ダーティ・ワンズ、サヴェージ・ノーマッズ、ブラック・スタバーズなど名を馳せるギャングが互いに抗争を繰り広げ、多くの十代の若者が無意味に命を落とした。そのため、この地区はブルックリンの“殺人場”と呼ばれていた。ブルックリン・ギャングの勢力争いを詳しく記録したニューヨーク市警の地図を見ると、当時、この問題がいかに想像を絶するものであったかが分かる。
ストリートギャングに次ぐ大きな問題は、ニューヨーク市中で最悪の脅威となったマフィアの存在だった。マフィアの拠点はクイーンズとブルックリンに集中していた。FBI捜査官ジョセフ・ピストーネが、ドニー・ブラスコとしてマフィアのボナンノ一家に潜入していたのもその頃だ(ジョニー・デップが映画『フェイク』で演じた実在の人物)。ピストーネが潜入捜査を終えてから僅か1か月後の1981年夏、ボナンノ一家のボスだったドミニク・ナポリターノがブルックリンの地下室で殺害され発見された。
同年、クイーンズのリッチモンドヒルにあるシャムロック・バーで、こぼした酒をめぐって男性2人がマフィアに射殺される事件がニュースの一面に上がった。この事件について、ロナルド・バーリンが容疑者として浮かんだが、ガンビーノ一家のボス故ジョン・ゴッティの姪リンダ・ゴッティがバーリンの身元確認を否認したため、最終的にバーリンに対する告訴は取り下げられた。射殺犯としてボビー・ベルナスとフランク・リカルディの二人も告発されたが、1990年代にそれぞれの裁判で殺人容疑を逃れた。だが去年、ベルナスは終身刑となっている。
ニューヨーク市の犯罪率は、同警察本部長が進めた新しい保安プログラムの成果により、この最悪を極めた年の翌年には5.1%減少した。
しかし、当時のニューヨーク市にあったのは暴力や犯罪だけではない。同時代に、トーキング・ヘッズやソニック・ユースなどのバンドが活動し、活気に満ちたポスト・パンクロックのシーンを牽引していた。また、1981年は近未来SF映画『ニューヨーク1997 (Escape from New York)』が公開された年でもある。映画のようにニューヨーク・マンハッタン島が犯罪者の巣窟となり、悪人と戦う主人公スネーク・プリスキンの手にも負えないようなことになれば、それこそ一大事だ。