ソフティ・イン・ケニア
止まぬ民族紛争に政治腐敗・・・ケニアという国に憤りを感じた大胆不敵な男、フォトジャーナリストのボニファスが今立ち上がる!命をかけた抗議デモに、議員選挙への出馬。「今日死んでもいい」と言い切るボニファスに、妻は「国と家族」どちらかを選ぶよう迫る。
ストーリー
ボニファス“ソフティ”ムワンギは、長い間ケニアの政治問題を訴えてきた政治活動家だ。そして、ついにケニアの地方選挙に立候補し、政治を正すための次のステップへと踏み出した。ボニファスが選挙への出馬を決めた時、彼の妻ンジェリの苦笑いに明るく応えるほど事態は楽観的に思えた。
しかし、政治腐敗の蔓延る社会では対立候補と争うにもクリーンな選挙活動すら難しく、理想主義だけではどうにもならない現実があった。ボニファスは、ケニアの政権を牛耳る世襲の強大な政治王朝に立ち向かううちに、自分の家族が危険にさらされていることに気づく。ボニファスには国が良くなれば家族も幸せになれるという持論があったが、果たして優先すべきは家族より国家なのだろうかと悩む。
映画『ソフティ・イン・ケニア』は、監督・プロデューサーであるサム・ソコが5年の歳月をかけて撮影した初の長編ドキュメンタリーだ。以前は短篇のミュージックビデオや映画を数本撮っていたが、2013年に近しい友人を通じてボニファス・ムワンギ、通称“ソフティ”と出会ったことをきっかけにドキュメンタリー映画を撮り始める。最初の想定では、政治、家族、そしてケニア人として生きる意味を問う物語として、1年をかけた短篇のドキュメンタリー映画を撮る計画だった。だが、ソコ監督がカメラを向けてみると、ケニアは政治腐敗、汚職、多くの非合法殺戮があふれる混沌とした国であり、気が付けば撮影は4年にも及んでいた。その状況の中、ソフティが地元のスタレヘ地区から議員選挙への出馬に踏み切った。ソコ監督は、撮影を続けていた映画の結末として、ケニアの政治や選挙システムを内側から伝える必要性を感じ、さらにもう1年、ソフティの選挙戦に密着し撮影を続けた。この決心によって、本映画は思いがけずソフティ家族の視点も含む深い作品となった。民主主義が芽生えたばかりのケニアで、国家への愛と家族の幸せのバランスに苦悶しながらも奮闘するソフティの姿をカメラは捉えている。ソコ監督はこの映画で、世界中の誰もが家族の葛藤に寄り添うことのできる普遍的な物語を伝えている。
メイキング・オブ・『ソフティ・イン・ケニア』
2013年の抗議集会で映画の中心人物となる“ソフティ”に出会った後、当初、サム・ソコは“活動家マニュアル”のような作品をつくろうと考えていた。6か月程度の撮影期間で、シンプルで分かりやすい20分の短編映画を撮りYouTubeで公開する予定だった。そして、昔からの友人のブランメル・アイロと共同設立した会社LbxAfricaに戻り、ミュージックビデオとフィクション映画の監督を続けるつもりだった。しかし、話はそう簡単には進まなかった。ソフティを撮影するうちに、彼がタフな外見の下に、複雑で傷つきやすい繊細な心と、深い情熱を秘めている人間だと知るようになった。また、活動家になった理由も非常に個人的なことだった。“ソフティ”は彼が子供の頃、見るからに大人しくひ弱だったことからつけられたニックネームだ。貧しくいつも薄汚れた服を着ていて、シングルマザーの家庭だったこともあり、よくいじめられたと言う。この幼少期の経験が、誰も自分のように貧困を経験せずに暮らせるような社会にしたいという思いを、大人になっても持ち続けた理由だ。そして、彼は不幸せな思い出を呼び起こす“ソフティ”というニックネームですら受け入れて、問題に立ち向かっている。今では、友人や家族が親しみを込めて彼をソフティと呼ぶ。彼は決していじめっ子の抑圧に負けなかった。“ソフティ”はそんな人間だった。
4年間に及ぶ撮影の間に、ソコはソフティと撮影抜きの友情を育み、彼の妻や親族とも知り合ううちに、当初の“活動家マニュアル”では収まりきらない物語が見え始めた。これを映画にするためにはもっと大きな撮影チームが必要だった。ソコは、すぐにチームのメンバーを探した。2017年に制作会社のDoc Societyからサンドラ・ウィファムとジェス・ザーチがエグゼクティブプロデューサーとしてチームに加わった。ナイロビで開催された映画製作者ミーティングでの偶然出会いから二人の参加は決まった。2018年初めにはプロデューサーのトニー・カマウとミラ・アウン・スハインが参加。スハインは2018年のHotdocs奨学生だったソコを指導した映画監督で、ボブ・ムーアと共に編集兼製作総指揮としてチームに加わった。ソコの製作チームは、まず2018年Hotdocsフォーラムで視聴者賞というウイニングショットを収めた。それから、アメリカ公共放送のPOVが共同制作に名乗りを上げた。以降2年間、深夜のスカイプ会議、編集作業、映画祭などチームが一丸となって動き、800時間の映像を96分の長編ドキュメンタリーにした本作品を、イギリス、ニューヨーク、カナダ、ナイロビに送り出してきた。映画『ソフティ・イン・ケニア』の製作は、関係者の信念と人と人のつながりの大切さ、そして何よりもコラボレーションの力を証明した。本作品は、LbxAfricaが、ケニアの“We are not the machine Ltd.”とカナダの“EyeSteelFilm”の両ドキュメンタリー制作会社と共同で制作をおこなっている。
監督サム・ソコが語る
私の名前はサム・ソコ、祖国であるケニアを愛している。しかし、一方では腐敗した社会と部族間の対立を恐れている。数年前、私はアフリカで活動する活動家を撮ってみたいと考えた。アフリカ大陸の各地で活躍する活動家を記録した短い映像を“活動家マニュアル”のような短編映画にするつもりだった。「アラブの春」に触発され、専制的なアフリカの政治家に反対する抗議の波が今に押し寄せて来るのではないかという期待があった。ケニアで最も果敢に運動を展開している活動家、ボニファス・ムワンギを知ったのもこの頃だった。そして4年後、短編映画を作る予定だったプロジェクトは、一人の活動家に密着し、抗議運動のスリル、恐怖、そして自己犠牲の姿を捉えた長編ドキュメンタリー映画『ソフティ・イン・ケニア』となった。根底にあったのは、4年前から変わらず持ち続けた疑問だ。活動家として生きることの意味とは? 社会のための活動なのか、それとも家族のためなのか? 家族と国では優先順位はどちらが先にくるのだろう?
この映画には、ケニアの不当な歴史背景を追求する物語が描かれている。ケニア独立後の政権は、もともと同じ文化を共有してきた部族間の憎悪を煽り、彼らの対立を政治に利用した。部族同士を対立させて分断し管理する方法は植民地時代の支配者が持ち込んだものだが、私たちの現政府が同じ手を使っているのは皮肉なことだ。人々の「他者への恐れ」を利用した分割統治は、国の発展においても非常に大きな障害となり続けるだろう。ケニアの最高司法長官はこの状況を次のように言い表している。「どこの国にもマフィアはいるが、ケニアでは国家がマフィアそのものだ。」
つまり、私の国ケニアでは政治汚職と質の悪い統治が日常に染みついているのだ。ケニアの政治家は、部族の属性を利用し、有権者へ賄賂をばらまいて人々の団結を阻止する方法を見つけた。この国は50年以上にわたって「フェイクニュース」に踊らされている。政治家は、何十年もかけて人々の心に深く暗い悪意の根を蔓延らせ、他者への憎悪を作り出した。その結果、選挙が行われる5年ごとに暴力事件が必ず起こるようになった。2007年の選挙後に発生した最悪の暴力事件では、1,400人以上が殺害され、数十万人がケニア国内で避難しなければならない事態となった。ちなみに、この映画の主要人物であるボニファス・ムワンギが国内外で注目を集めたのもこの時だ。新進の写真家だったボニファスはこの暴力事件の記録写真を撮り、生き延びた人々の証言を世に発信した。彼の勇気ある行動は世界各地で称賛され、いくつかの賞を受賞した。それが転機となり、ボニファスはケニアをより良い国とするために、政治改革を目指して活動家の道を歩むことになる。こうして私はボニファスと出会った。
撮影をするうちに、活動家の人生は多くの困難をはらんでいること気づいた。因習に凝り固まりなかなか変革が難しい社会に対峙しながら、自分の家族との関係や生活も考えなければならない。ボニファスの妻、ンジェリもこの物語の重要な登場人物だ。活動家であり政治家であるボニファスの内面を知る証人として、社会改革を目指して運動する中で活動家の家族が払う犠牲について、特有の視点からの貴重な話を聞かせてくれた。
ボニファスとンジェリはキクユ族だ。キクユ族は国内の42部族の中でも最大の部族で、ケニアの初代大統領ジョモ・ケニヤッタの息子であり、現在の大統領のウフル・ケニヤッタが率いる支配階級もこの部族の出身者だ。ボニファスの活動家としての信念を、部族への裏切りだと感じる親族もいるのだろう。彼らの部族背景と共に、この映画には、体を張った抗議運動、殺害予告、家族と折り合い、そして人生を変える大きな決断まで、余すところなく活動家の比類ない人生が綴られている。世界の各地で様々な分断の種が蒔かれている。この活動家の物語を通じて、観客の心に、平等で寛容な社会を目指し正義のために立ち上がる勇気が生まれることを願っている。
撮影は4年以上に渡って、ボニフェイスとンジェリの飾らない様子を観察者の視点で捉えている。時々、彼らはカメラに向かい、こちら側と対話を始めることもある。個人的にも親しくなりお互い強い信頼関係を築けたからこそ撮れたシーンだ。また、個別にインタビューをおこない、それぞれの立場からの思いも直接映画に反映させた。現在、撮影はほとんど完了し、適切なクリエイティブ・パートナーを探しながら、作品の可能性を最大限に引き出すための仕上げにあたる融資元を探している。
“ボニファスとンジェリ ケニア、ナイロビのスタレヘ地区の政治集会にて 2017年半ば頃”
ムワンギの家族
ボニファス・ムワンギ “ソフティ”
1983年7月10日生まれ。ケニアのフォトジャーナリスト、政治家、社会政治運動に携わる活動家。2007~2008年にケニアで起こった選挙後の暴力事件を捉えた報道写真で名を知られるようになる。また、ケニアで最も突出した活動家の一人としても有名。ボニファスは、シングルマザーのもとで6人の兄弟と一緒にスタレヘ地区郊外の貧しい家で育った。この頃はあまり学校にも通わず、ナイロビの路上で本を売る母親の手伝いをしていた。2000年、17歳で母親を亡くしたとき、生きていくには自分を変えなければならないと気付く。彼は牧師になるつもりで聖書学校に入学し、聖書研究で学位を取得。学校で学びながら、写真に興味を持つようになる。高校教育を受けていなかったが、なんとか私立のジャーナリズム学校に籍を得る。学費を稼ぐために路上で本を売る仕事を続けていたが、間もなくフォトジャーナリストとしての頭角を現し始める。2005年に新聞の全国紙に掲載された写真で初めて賞を受賞する。また、2007~2008年に発生した選挙後の暴力事件を記録した写真で、2008年と2010年のCNNアフリカフォトジャーナリスト・オブ・ザイヤーを受賞する。だが、その暴力事件の悲惨さを目の当たりにして、PTSDに苦しみ、写真家の仕事を辞めて、ケニアのために社会的正義を訴える活動を始める。路上でグラフィティやアートを使った抗議活動やデモ運動を展開し、ケニア国内の人権侵害や政治腐敗を訴えている。彼の活動家としての働きはTEDフェローでも認められている。ボニファスが設立時からイニシアチブとっているPawa254は、アーティストと活動家がケニアの社会改革に向けて協働するためのハブスペースである。
ンジェリ・ムワンギ ボニファスの妻
2005年に大学を卒業。社会に働きかける仕事をしたいと思っていたが、それが何か分からなかった。信心深い家庭に育ち、神と家族を第一に考えている。2006年にボニファスとアイスクリームショップで偶然出会ったことで、彼女の人生は一変した。公の場で活躍するようになった夫をずっと陰で支え、3人の子供、ネイト、ナイラ、ジャバリを育てる。ナイロビで最初の創造的な社会的企業の1つであるPawa254の共同設立者。2016年、ボニファスが政治家として立候補したことを機に、影の立場から表舞台に出て社会に働きかける活動を始める。
ボニファスとンジェリの3人の子供は、長男がネイト、真ん中がネイラ、一番下がジャバリ。二人は慣習に反して、子供たちにケニアの部族名を付けなかった。そのため、子供たちは部族にとらわれないアイデンティティを得ている。