
I ♥ NY
“I ♥ NY”(アイ・ラブ・ニューヨーク)はニューヨークのあちこちで目にするあまりに有名なロゴで、誰かがデザインして生まれたものとは思えないくらいだ。ニューヨークと言えば思い浮かび、観光客やニューヨーカーがこの街への愛を示すシンボルとなっている。
実は、このロゴが誕生した70年代半ば、ニューヨーク州はその歴史の中でも特に犯罪率が高く、経済は破綻寸前の困難な時期にあった。そんな時代に、観光客にアピールし、ニューヨーカーの士気を高めるため州政府が立ち上げた広告キャンペーンの一環として生まれたロゴだ。
荒んだニューヨークのイメージを打ち消すために、広告代理店ウェルズ・リッチ・グリーンは市場キャンペーンを考案して“アイ・ラブ・ニューヨーク”というスローガンを中心に据えた。次にこのキャンペーンのロゴが必要になり、当時のニューヨーク州商務副長官だったウィリアム・S・ドイルは、有名デザイナーのミルトン・グレイザーに話を持ちかけた。
グレイザーは、1954年にニューヨークでプッシュピン・スタジオを共同設立し、既にデザイナーとして名声を博していた。作品には、1966年のボブ・ディランのアルバム「Bob Dylan’s Greatest Hits」のサイケデリックなポスターや1968年のニューヨーク誌の題字などがある。
ドイルからキャンペーンのロゴデザインについて相談されたとき、グレイザーはプッシュピン・スタジオを辞めて、新しく自分のスタジオを開設したところだった。依頼を受けたグレイザーは、最初のデザインに1週間を費やしたという。(ロゴを依頼した正確な時期については諸説あり、グレイザーは1975年としている。他の情報筋では1977年とされ、市内で発生した大規模な停電に乗じて最悪の略奪事件が起こった後だったとも言われる。)
「デザインに必要なのは、言葉に相当する視覚的なイメージだった。」グレイザーは2000年に出版された著書『Art Is Work』(Overlook Press)の中でロゴのデザインについて言及している。「まず最初に作ったグラフィックが議会の承認を得た。けれど1週間後、タクシーの中で何気なく落書きをしていると別のアイデアが浮かんだ。それでドイルに電話をして、“もっと良いデザインができた”と伝えた。ドイルは“勘弁してくれ。承認のためにもう一度議会を招集するのがどれほど大変か分かるか?”と言った。それでも、新しいデザインをどうしても見て欲しいと言うと、ドイルはスタジオへ来てくれた。彼はこのデザインを見てうなずき、スケッチを持ち帰った。そして議会で承認されてキャンペーンのロゴに採用された。」と語っている。
この2番目のロゴが“I ♥ NY”だ。グレイザーによると「約10秒で生まれたデザイン」だと言う。「記憶の中の木の幹に彫ったサインがイメージの素だと思う。恋人たちのイニシャルとハートを組み合わせて深い愛情を示すマークだ。大抵、ハートには弓矢が刺さっていたけれど、それは外すことにした。不思議なことに、このロゴが完成するまでの正確な過程については、これまでほとんど話されて来なかったんじゃないかな。」
グレイザーはロゴの文字にタイプライター系フォントのアメリカン・タイプライターを使用している。「なぜこのフォントのバリエーションを選んだのかは分からないけれど、親しみやすいフォルムと文学的な雰囲気があって情熱的なハートマークと上手く釣り合う気がした。」とグレイザーは言う。
成り立ちのエピソードはささやかなものだったが、“I ♥ NY”はニューヨークを象徴するシンボルとなった。そして、ロゴのシンプルな組み合わせは世界中の多くの名所でも愛を表現するサインとして使用されるようになった。グレイザーはこのロゴデザインを無償奉仕で引き受けていたため、この偉大な成功に対する金銭的利益は得ていない。
現在でも目にするこのロゴデザインの息の長さを振り返って、グレイザーは驚きとともにこう語る、「このロゴがこれほど受け入れられるとは、私を含めて誰も予想できなかった。まだ存在していることも驚きだが、ロゴの影響力や人々の反応を見ると、今でも製作時の意図が効果的に伝わっているようだ。素晴らしいのは、その起源ではなく持続性だ。」